2017年5月19日 (金)

精神科訪問看護(666)(667)

ゆえあって・・・関連書籍を2冊購入。

さっそく、パラ読み、斜め読みしてみた次第。

やっとわが国でも、精神に障害をかかえる人々を地域生活の中で支えることが当たり前になりつつある。

認知症は必ずしも精神科固有の対象とは言えないが・・・それも括り込めば、人口構造の変化、疾病構造の変化から、精神科訪問看護が精神保健・医療・福祉システムにとって極めて重要になってきている。

こちら(↑)は精神科訪問看護のイロハのイを知るにいい。

こちらは、訪問看護に出る彼/彼女らが、実際に現場で困ったり、よりよく対処するにはどうしたらいいかが実践的、課題ごとに分かりやすく書かれていて役立つ。

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2017年5月17日 (水)

シチズンフォー(665)

スノーデンを見逃した・・・(T_T)

DVDになっていたので購入して、この週末に家族と視聴。

映画シチズンフォーHP ⇒ http://gaga.ne.jp/citizenfour/

シチズンフォーはスノーデンのハンネ。

スノーデンが何をやろうとしたのか?

なぜスノーデンファイルを曝露したのか?

すべて本人映像、実写で構成されている。

わが国でも、共謀罪・・・テロ準備罪と名を変えた共謀罪法案が審議されている。

是非を考える格好の映画(DVD)だ。

スノーデンもDVDで視聴することになろう。

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2017年5月 8日 (月)

人はなぜ物語を求めるのか(664)

自宅近くの書店で、フト目に入った。

よくあるパターン。“ストーリー大好き家族”がいるので、その家族にも回ろう。

著者については、日本語Wikipediaが開設されている。

以下、各章のまとめを拾っておく。

第1章(42頁)
・人は「世界」や「私」をストーリー形式(出来事の報告)で認識している
・「私」の一貫性は毎瞬意味の違う「私」をパラパラ漫画のようにつなげたものである
・ストーリーの筋においてできごとが起こると、世界がある状態から別の状態へと遷移する
・できごとは「報告する価値があるもの」として認識され、報告価値は内容だけでなく受信者の状況によっても決まる
・ストーリーは「物語」の形で表現・伝達される
・人が発話するのは、必ずしも「内容」や「ストーリー」を伝えたいからではない
  ・・・内容がなくてもパフォーマンス(話芸)それ自体のセンスや技術を楽しめる 

第2章
・人はAのあとにBが起こると、AのせいでBが起こったと思う傾向がある(前後即因果の誤謬)
・前後関係だけでなく、因果関係が加わると、ストーリーが滑らかになる
・人は個別の事例から一般論を帰納し、その一般論から演繹して新たな事例の原因・理由を説明したがる
・不本意な状況に置かれると「なぜ私が?」という実存的な問が起こり、ストーリーがそれに無理やり答えようとする
・「なぜ?」の答はできごとの原因だけでなく、できごとの理由・目的・意味であることも多い
・ストーリーは平常状態が破られるところから始まり、受信者・解釈者は非常事態が収まって新たな平衡状態に着地することを期待する
・受信者にとって物語は情報ではなく、体験である。
・世界はほんとうは因果律的にはできていないし、理由のないことはいくらでもある (109頁)

第3章
・「実話」と「ほんとうらしい話」は違う
・話が手持ちの「一般論」に一致したとき、人はその話を「ほんとうらしい」と思う
・話しかたしだいで、いくらでも「主語の大きな」きめつけをすることができる
  ・・・「日本人は」「女は」「男は」などを含むと、いわゆる「主語の大きな」言説となる(123頁)
・自分の行動の動機を説明しても、けっこう出鱈目なストーリーになっていることがある
・理解した、と思うとき、人はじつは決めつけている
・子ども時代に作り上げた一般論の集合体(世界観)はしばしば偏っていて、そこから生まれるストーリーは成長後の人を苦しめることがある (139-40頁)

第4章
・人は不本意なできごとの原因を探し、その存在に報いを与えたがる義務や道徳を支える「べき論」は、意外と感情的
・世界は公正であるべきだという考え(公正世界の誤謬)に無自覚だと、被害者を責めたり自責したりする
・怒りや悲しみといったネガティヴ感情の背後に、無根拠な「べき論」という誤信念がある
・「べき論」によって人は、世界や他者をそうだできると思い込んでしまう(コントロール幻想)
・感情につき動かされて行動することは選択肢を自ら手放すことであり、「自由」からもっとも遠い
・世界でひとつだけ選択可能なものは、できごとにたいする自分の態度である (177-8頁)

第5章
・人はストーリーを理解しようとするとき、登場人物の信念や目的を推測・解釈している
・他人の目的や信念を推測する「心の理論」は四歳ごろに発達する
・自分がなにを知らないかを知ることは難しい
・人はストーリーや世界のなかで多くのことを決めつけて生きている
・自分の生きる指針(ライフストーリーメイキング)のせいで苦しむもともある
・従来の生きる指針を捨てるのは先の保障がなく、崖から落ちるくらい怖いが、そうする自由はつねにある (213頁)

・・・しかし、著者が実に多くの著作(ストーリー)を渉猟し、その博学なのに脱

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2017年5月 7日 (日)

美女と野獣(663)

大型連休の真ん中は・・・胃腸風邪?? で2日間やられていて・・・予定が大幅に狂ってしまった。

公式サイト ⇒ http://www.disney.co.jp/movie/beautyandbeast.html

ハーマイオニーが大人になってヒロインを演じていた。

本作もミュージカル。

原作とは異なっているシナリオで、ドラマ性をさらに盛り上げていた。

自宅近くのシネコンで視聴したが・・・客は3分の1の入りで、人気作と言える。

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2017年5月 4日 (木)

フクシマは核戦争の訓練場にされた(662)

知人に勧められて拝読。

第1部 「トモダチ作戦」の事実経過、は2011年から12年医地方民報「新かながわ」に12回にわたって連載された原稿に加筆修正したものとのこと。

第2部 「トモダチ作戦」の「分析」とは、はその後の米軍や米政府機関などから発表された事実にもととづいて分析した内容。

第3部 五年後の福島第一原発と「トモダチ作戦」のその後、は本稿執筆から5年が経過し、米国防脅威削減局から発表された報告書を精査して米空母ロナルド・レーガン乗組員による福島原発被ばく訴訟の一助となることを期待して、5年後の現状を考察したもの。

「トモダチ作戦」の圧倒的に主要な部分は福島第一原発事故への対応であることが分かる。米軍部隊の「放射線モニタリング」である。オモテの人道支援、ウラの放射線被ばくデータ収集、特に低線量下での長期被ばくをデータ化したかったというのが著者の分析である。

第二部の11 一年たって、実は、実は・・・では、
3月16日、仙台空港に米軍の最初のC130輸送機が着陸したが、それまでに仙台空港の滑走路は津波の被害を受けてガレキの山だった。私たち日本人は、米軍はここ仙台空港にいち早く注目して部隊を送り、滑走路のガレキを撤去。すばきゃく使える状態にしたと思って居tが、事実はそうではないらしい。事前に日本の業者(前田道路。国土交通省が契約し、3月12日には現地に入って作業を開始していた)が仙台空港のガレキ撤去と滑走路の整備を請け負い、米軍が来るまでに滑走路の復旧は終了していたといのだ(半田滋『三・一一後の自衛隊』岩波書店。そしてその後、仙台空港の管制権はしばらくの間、米軍の管制下に入る。日本側に管制権が戻ったのは4月5日だ。戦争状態でもないのに、半田氏は「占領軍のような行動がとられたことになる」と指摘している。まだ同氏によると、陸自幹部から「災害派遣された自衛隊の任務にガレキ撤去はない。民間業者の仕事を奪うような活動はできないからです。」という発言が聞かれたという。(121-2頁)

一方、著者は、学ぶ点も多いと述べる。(185-6頁)

それは、機動性と即応力、専門家集団の確保と養成である。

・・・しかし、他国で縦横無尽にデータ収集できるように許可(?)したのは、どこのだれなのだろうか・・・??

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2017年5月 1日 (月)

SING/シング(661)

大型連休前半 特に予定も決めず思い付きで出かけた近所のシネコンで視聴。

映画SING/シングHP ⇒ http://sing-movie.jp/index.html

ディズニー映画の、芝居がかった(?)大げさな演出でない・・・と言ってもアメリカ臭さはあるのだが・・・

吹き替え版を視聴したが、エンドロールで流れた 吹き替え版キャストを見て なるほど。

とても質の高いミュージカルを見ているような アニメだった。

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2017年4月17日 (月)

新しい科学論(660)

ロジックの世界の参考書欄にあったのだったか・・・。

学生時代にも読んだ記憶があるが、今回改めて取り寄せた。

1979年1月20日第1刷発行とありながら、手許に届いたものは2017年2月1日第50刷発行とある。

名著にして大ロングセラー。著者は現在国際基督教大学で、教鞭をとっておられるのか...。

前半、第一章で、「常識的科学観」を描いて見せ、後半、第二章で、「新しい科学観」を導出して見せる。

「帰納的飛躍」・・・X1とX2についてしかまだ調べてないことを、X3やX4や・・・Xnについてまで何の根拠もなく拡張することです。(42-3頁)

常識的科学観の姿(94頁)
 データ-帰納-法則-演繹-検証(反証)というサイクルにしても、そこに含まれる知識の「蓄積性」、科学の「進歩」、法則の「包括性」などの概念上の特徴、あるいはそれを支えるあの「バケツ理論」的認識論、そこにからんでくる「裸好き」の精神などにしても、一応大筋としては、もっともであるとお考えになる方がかなりいらっしゃるでしょう。(94-5頁)

古典力学は相対性理論(特殊相対性理論)に「包括」されている(「速度」が光速c比べてはるかに小さい時にニュートン力学は成り立つ)、量子力学に「包括」されている(量子力学の運動法則の作用量子の項を0とするとニュートン力学の運動法則になる)。

ポパーの「バケツ理論」というのは、「人間=バケツ」ということで、バケツに穴が開いていて水に入れるとバケツの底から水が段々溜まって行く。

情報が感覚の窓(穴)を通じて外界から流れ込む、という場合、人間(バケツ)はただ外界から情報を受身的に受け取るだけである、考えられている。情報は人間に対して外界から「与えられたもの」=「データ}であって、それ自体人間はもうどうしようもない。(84頁)

科学の「進歩」は、情報の蓄積貯蔵の結果であると言える。観察データと法則との双方に並行的に見られた「包括性」の関係も「バケツ理論」から導き出される。
科学の「進歩」は、過去の旧い法則や理論が、まちがった、正しくないものとして捨てられ、新しいより正しい、より真理に近い法則や理論によって置き換えられることをも言う、と考えられている。(85頁)

裸好み・・・科学は、できる限り、先入観を捨て、虚心坦懐に、ありのままの自然(外界)を受け取ることをもって、初めて制rつするものである、という考え方。(87頁)
「科学者は裸がお好き」(ボルツマン;物理学者)(83頁)、「価値中立性」(マックス・ヴェーバー;社会学者)(92頁)~社会学を自然科学に近づけようとした

ところが・・・

たとえば、「酸素の発見」とは、酸素の気泡を目撃したこととはまったく違って、しかじかの参加=還元の理論によって、初めて「ここに酸素があります」という「事実」たる資格を得るのです。(180頁、要約) だからこそ「同時発見」も起き得る。

「事実」が科学理論によって造られるものと考えられることになりました。(180頁)

自然科学者たちが造り上げている、いわば専門家の社会-これを一応科学者共同体という名でよぶことにしましょう-というものが、たいせつな意味をもってくるのです。(183頁)
「肺がんの病巣」や「メソン(中間子)の飛跡」は、厳密には、これら共同体のなかだけで「客観性」が保証されえちることになります。(183頁)

素粒子論の全体的理論は量子力学を共有する人びとよりもより少ない人びとによって共有されていると同時に、その一部は例えば天文学理論を共有する人びとにも共有されていると言える。それをIIのレベルで表す。
メソンについての特殊な理論は、より小規模になり、それを共有する人びとの共同体はもっと小さいものになる。この理論をIIIのレベルで表すことにする。直接的にはこのメソンについての理論によって「ここにメソンの飛跡がある」という「事実」が生まれる。(184頁)
メソンについての理論を共有している小規模な共同体を包み込んで、素粒子論を共有しているより大規模な共同体が存在し、さらにそれを包み込んで量子力学を共有している大規模な共づ緒対が存在している・・・著者はこれを「複式構造」と名付けている。(185頁)

ちょうど「魔法使いの老婆」としか見えなかったものが、突然「若い娘さんの顔」に見え始めた瞬間のように、錆びたあとの金属の方が重い「事実」を見るための前提-もっとも、このことに直接関係してくる前提は、いうまでもなくフロギストン説でしたが、もちろんそこに関係してくる前提はそればかりではなく、もっと一般的なものも多数含まれていたでしょう-の構造が変わったとき、今まで、その図柄のなかにちゃんと収まっていたその「事実」が、どうしても収まり悪く感じられてくる、というような状況が起こっているのです。ハンソンという研究者は、これを「ゲシュタルト変換」と呼んだ。(190頁)

クーンという研究者は、こうして鹿賀理論が変換する過程を「進歩」と呼ぶことをあきらめて、「革命」と呼んだ。(197頁)

時間的に相隣合う二つの理論系どうしの間に「包括性」を認めず、両者の間の通底性を否定して、不連続面を強調することは、ふつう、理論の「共約不可能性」と呼ばれている。(199頁)
純粋の理論面で考える限り、例えば、古典力学と、c>>vという特定条件下での特殊相対性理論すなわち古典力学とは明らかに「同じ」ではなく、それを「同じ」と言い張るには無理があるように思われる。(199頁)

科学の人間性(200頁)
 自然科学は、けっして人間や人間社会から切り離された、中立の道具などではない。善かれ悪しかれ、その時代その社会の基本的なものの考え方、底流となっている前提と結ばれているものなのです。(200頁)

要するに、現代の科学は、その長所も欠点も、わたくしども自身のもっている価値観やものの考え方の関数として存在していることを自覚することから、わたくしどもは出発すべきではないでしょうか。(201頁)

結核や肺炎を駆逐し、原爆を造り出した科学について、その全ての責任を今わたくしどもが引き受けることを通じて、人間の道具としての科学ではなく、科学を自らの実の内に引き受けるという認識を通じてのみ、わたくしどもは、自己を変革すると同時に科学を新しい方向に変革することができましょう、もし必要ならば・・・。(201頁)
それがわたsくいの本書でお伝えしたかった最終的メッセージなのです。(202頁)

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2017年4月16日 (日)

ここが家だ(659)

・・・とある事情で部屋の片づけを少々...

ひょっこり現れたのが本書、そういえば購入していた(^-^;。

隣国の独裁者が・・・核攻撃も辞さないと述べる、きな臭い今日にあって。

これは、偶然の意味ある一致 なのだろう。

2013年9月30日にAmazaonで購入しているが・・・

何がきっかけだったのかは...思い出せない。

帯には...

この物語が忘れられるのをじっと待っている人たちがいる。

原子力の抱える人類規模の問題に50年も前に警鐘をならした画家がいた。原発事故を経験した私たちに、ベン・シャーンの絵はいま特別な意味を持つ。

・・・とある。

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2017年4月14日 (金)

資本主義の終焉と歴史の危機(658)

(記事アップ忘れ・・・(^-^;m(__)m)

2014~15年にかけての年末年始に読んだ書籍として、我が国の現状を、もっとも、納得的に解説してみせている良書と思った。

周囲にも、広げている。

帯にもあるとおり、金利ゼロ=利潤ゼロ=資本主義の死。

なるほど、金利、利潤を産みだしてこそ、資本主義だから・・・。

図1 経済覇権国の金利の推移、では、「長い16世紀」(ブローデル)の利子率革命に気づくことで、現状を、「長い21世紀」の利子率革命ととらえることができる。シドニー・ホーマーとリチャード・シラの『金利の歴史』によると、紀元前3000年のシュメール王国から現在に至る世界主要国の金利が掲載されており、ジェノバで金利2%を下回る時代が11年間続いた。日本10年国債利回りは、400年ぶりにその記録を更新した、経済史上きわめて異常な状態に突入している(15-6頁)。

アメリカのベトナム戦争に勝てなかったこと、オイルショックとは、「地理的・物理的空間」をもうそれ以上拡大して、資本の利潤率を上げられなくなったことを象徴的に表している。(20-1頁)

アメリカの資本主義延命策が、「電子・金融空間」の創造だった(25頁)が、余剰マネーはバブルを引き起こす、そのバブルを救うために、税金が使われる。したがって、中間層が崩壊していく。

1995年は、ロバート・ルービン財務長官が就任し「強いドル」に政策転換(29頁)

その後、ピケティが来日したのを見ると、資本主義そのものが問われていることに、間違いはないのだろう。

2017年4月13日現在、ベストセラー1位@Amazonとなっている!

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2017年4月13日 (木)

IoTとは何か(657)

IoT=モノのインターネット。

話は簡単、「IoT=ユビキタス」さらには「どこでもコンピューター」、さらに前は「HFDS(超機能分散システム)」とのこと。(12頁)

 IoTもまさにオープンなインフラ技術になることを目指している。IoT--Internet of Thingsは、言葉通りにとれば「モノのインターネット」。「インターネット」という言葉が入っているが、これは単にモノをインターネットで繋ぐという意味ではない。IoTはむしろ、「インターネットのように」会社や組織やビルや住宅や所有者の枠をこえてモノが繋がれる、まさにオープンなインフラを目指す言葉と捉えるべきだ。
 そして、今のインターネットが、コンピューターの組込まれたモノ同士がオープンに連携できるネットワークであり、その連携により社会や生活を支援するーーそれがIoTなのである。(13頁)

 Ubiquitousとは偏在(ここにも、あそこにも) (32頁)

 インダストリー4・0は、蒸気機関の導入を第一次産業革命として1・0、モーター等による電気化を2・0、コンピューター等による電子化で3・0、だからIoT化で4・0だという。同様にサービス分野のエポックな革命でいうなら、電話という音声通信技術の導入で1・0、コピーやFAXという文書通信技術で2・0、コンピューターやインターネットというデジタル通信技術で3・0、そしてIoT化で4・0という感じだろうか。(81頁)

 ヘルスデータがクラウドに蓄積される時代、救急のために時間に余裕のない状況で、医療関係者ならプライベートデータにアクセスできるといった制度を作るには、「ただ守れ」というだけでないプライバシーとパブリック(公共)のバランスの哲学が必要になる。(184頁)

・・・と述べ、

 自分の情報の流れを独占的にコントロールできるという「個人の権利」とするのでなく、個人情報を受けた(受け取ってしまった)側が、状況に応じて適切に扱う「事業者側の義務」としてプライバシーを定義し直し、そのコンセプトのもとに制度を再構築することが必要になてちるのではないか。(184頁)

・・・と提起している。

 また・・・

 通信環境の大きな変化は当然として、オープンIoTにおけるガバナンス管理の負担とビジネスモデル上の必要性といった、技術と制度にかかわるさまざまな状況を勘案し現在のTRONプロジェクトは「ユビキタス・コンピューティング」より、むしろアグリゲート・コンピューティング」をその基本モデルとするようになっている。(222頁)

・・・という。

 「モノがインターネットに繋がる」ということは、究極には世界のすべてのモノが、管理者や製造者の枠を超えて繋がるということだから、どのモノとどのモノが情報関していいのか、そのクラウドサービスがそのデータにアクセスしてよいのか、誰が制御していいのか、災害時など特定の状況ではどうなるかなど、全世界の人とモノとサービスクラウドがステークホルダ(関係者)となる複雑なガバナンス管理が必要になる。(210頁)

 すると、ポリシーの変更やステークホルダーの権限の変更等、大量のデータベースアクセスが必要となり、これをエッジノード(末端)内部に持つことは非現実的だし、常時問い合わせするなら、その通信自身のセキュリティもふくめ、単なる短いセンサーデータの送付にすら何百倍もの通信オーバーヘッドを必要しることになってしまう。(213頁)

 エッジノードがクラウドに直結するというのが、現在のTRONプロジェクトの基本モデルとのこと。(214頁)<・・・アグリゲート・コンピューティングモデル。

 「アグリゲート・コンピューティング」として、個々には単能でもそれらが属する上位のクラウドと繋がり全体として知的に機能するという「ヒエラルキーのある分散システム」に転換してきている。(217頁)

 そして最後に・・・日本におけるオープンデータ実現のため・・・

 一般社団法人オープン&ビッグデータ活用・地方創生推進機構}(理事長)と「公共交通オープンデータ協議会」が軽く紹介されている。

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